【中古】 Nikolayeva: The Art Of Tatiana Nikolayeva 【CD】 [93590340]
【中古】 Nikolayeva: The Art Of Tatiana Nikolayeva 【CD】
[93590340]
販売価格: 15,400円(税込)
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タチアーナ・ニコラーエワの芸術(37CD)
ニコラーエワの没後25周年を記念し ソ連録音を中心に、晩年のスイスの教会での録音のほか、若き日のドイツ録音なども収めたセットがイギリスのスクリベンダム・レーベルから登場。
【概要】
37枚の内訳は、『ゴルトベルク変奏曲』『平均律クラヴィア曲集』『フーガの技法』『フランス組曲』など、バッハ作品が約14枚分、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集と『ディアベッリ変奏曲』が10枚分、ショスタコーヴィチの『24の前奏曲とフーガ』の録音が2種類で5枚分、それ以外のロシア/ソ連作曲家の録音が約7枚分、シューマンが1枚分となっています。
【スイス録音】
1991年5月、67歳のニコラーエワは、スイスの山村ブルーメンシュタインを訪れ、ブルーメンシュタイン教会で、アルバム3枚の分量にあたるシューマン、チャイコフスキー、ボロディン、リャードフの作品を録音しています。
ニコラーエワはこの録音の2年半後に急死していますが、最後まで現役バリバリで活躍していたということで、このスイスでの録音にも枯れた様子などは無く、大きなスケールで、チャイコフスキーの『グランド・ソナタ』を弾いているほか、ボロディンの小組曲、リャードフの舟歌などのロマンティックな作品を詩情豊かに演奏。
ニコラーエワは、シューマンの生地ツヴィッカウのロベルト・シューマン協会からロベルト・シューマン賞を授与されるほどシューマンの解釈には定評がありましたが、ここでも『子供の情景』『アラベスク』などで見事な演奏を披露、特に、リストの編曲したシューマンの『リーダークライス』の終曲「春の夜」(冒頭がシャンソン『愛の賛歌』に似ている曲)での美しさは絶品です。
●シューマン:6つの間奏曲 Op.4(Disc19)
●シューマン:子供の情景(Disc19)
●シューマン:アラベスク(Disc19)
●シューマン:3つのロマンス Op.28(Disc17)
●シューマン:『ウィーンの謝肉祭の道化』~「間奏曲」(Disc19)
●シューマン(リスト編):『リーダークライス』~「春の夜」(Disc19)
●チャイコフスキー:グランド・ソナタ(Disc17)
●チャイコフスキー:ワルツ Op.40-8(Disc17)
●チャイコフスキー:5拍子のワルツ(Disc17)
●ボロディン:小組曲(Disc24)
●ボロディン:スケルツォ嬰へ長調(Disc24)
●リャードフ:ポーランドの主題による変奏曲 Op.51(Disc25)
●リャードフ:舟歌 Op.44(Disc25)
【バッハ録音】
ニコラーエワはバッハとショスタコーヴィチの権威として、ソ連ピアノ界でも際立った存在でしたが、彼女をその道のスペシャリストたらしめるきっかけとなったのが、1950年7月にライプツィヒで開かれた『バッハ没後200年記念祭』でした。
同音楽祭で開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者でもある彼女は、同行したソ連代表団の団長で、コンクールの審査員でもあったショスタコーヴィチの知己を得、『3台のピアノのための協奏曲』を共に演奏するなど、バッハの作品を通じてショスタコーヴィチと懇意な間柄となります。
ニコラーエワのバッハ演奏は、モダン・ピアノならではの鳴りっぷりの良さと曲想のえぐり具合が印象的なもので、ブゾーニらの編曲による「シャコンヌ」、「トッカータとフーガ」、一連のコラールなどでの壮大な音楽と奥深い情感表現は実に見事。
ペダルを駆使し、明確なリズムと幅広いダイナミクスによって陰影豊かに仕上げられたニコラーエワのバッハ演奏は、『フーガの技法』や『平均律』、『ゴルトベルク変奏曲』、『フランス組曲』、『インヴェンションとシンフォニア』などで美しく揺るぎのない世界を築き上げています。
●ゴルトベルク変奏曲(Disc10-11)
●フーガの技法(Disc12)
●平均律クラヴィーア曲集全曲(Disc4-7)
●平均律クラヴィーア曲集~4曲(Disc13)
●チェンバロ協奏曲集(5曲)(Disc9)
●チェンバロ協奏曲 BWV 1055(Disc14)
●インヴェンションとシンフォニア(Disc8)
●フランス組曲全曲(Disc1-2)
●イギリス組曲第1、4番(Disc1)
●イタリア協奏曲(Disc3)
●イタリア協奏曲(Disc9)
●トッカータとフーガニ短調 BWV 565(Disc3)
●フーガト短調 BWV 578(Disc3)
●コラール『目覚めよと呼ぶ声あり』 BWV 645(Disc3)
●コラール『今ぞ来たれ、異教徒の救い主よ』BWV 659(Disc3)
●コラール『われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ』BWV 639(Disc3)
●コラール『主よ、人の望みよ喜びよ』 BWV 147(Disc3)
●シャコンヌニ短調(Disc3)
●シチリア―ノ(Disc3)
【協奏曲録音】
第1回バッハ国際コンクールで優勝し、広く名を知られるようになったニコラーエワは、国外での活動もおこなうようになり、1956年1月には、モーツァルト生誕200周年を記念して発足したザルツブルクの「モーツァルト週間」で、シューリヒト指揮ウィーン・フィルとピアノ協奏曲第22番で共演して注目を集めました。
また、1959年には32歳のマズア指揮するゲヴァントハウス管弦楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をセッション録音、ニコラーエワ34歳の迫力ある演奏を聴くことができます。
ちなみにニコラーエワは広範なレパートリーの持ち主で、ここでもメトネルやバルトークの協奏曲のほか、恩師ゴルベフのピアノ協奏曲などを聴くことができます。
●モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482(Disc13)
シューリヒト(指揮)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
●モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(Disc14)
ヴィルサラーゼ(ピアノ)ソンデツキス(指揮)リトアニア室内管弦楽団
●モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K.242(Disc14)
ヴィルサラーゼ、ルガンスキー(ピアノ)、ソンデツキス(指揮)リトアニア室内管弦楽団
●バルトーク:ピアノ協奏曲第3番ホ長調(Disc24)
アノーソフ(指揮)モスクワ放送交響楽団
●メトネル:ピアノ協奏曲第1番ハ短調 Op.33(Disc25)
スヴェトラーノフ(指揮)ソ連国立交響楽団
●ゴルベフ:ピアノ協奏曲第3番 Op.40 (Disc26)
アノーソフ(指揮)ソ連国立交響楽団
●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番ト長調 Op.44(Disc16)
アノーソフ(指揮)ソ連国立交響楽団
●チャイコフスキー:協奏的幻想曲 ト長調 Op.56(Disc16)
コンドラシン(指揮)ソ連国立交響楽団
●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 Op.23(Disc18)
マズア(指揮)ゲヴァントハウス管弦楽団
●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 Op.18(Disc18)
イワノフ(指揮)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
【ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガの録音】
大作『24の前奏曲とフーガ』について、ショスタコーヴィチは以下のように語っています。「最初は対位法音楽の技術的な習作のつもりだった。しかしその後構想を拡大し、バッハの平均率クラヴィア曲集に倣って、一定の形象的内容を持つ小品の対位法様式による一大曲集にすることにした」。
1950年7月、ショスタコーヴィチは、バッハ没後200年記念祭に参加するためにライプツィヒに向かいますが、この曲集はもともとその旅行のさなかに練習曲として着想されたものでした。
その後、ソ連代表団の団長として、また、同時に開催されたコンクールの審査員として、さらに閉会式で弾かれた3台のピアノのための協奏曲の独奏者のひとりとして記念祭に参加・滞在するうちに、バッハの音楽から深い影響を受けて作品の構想が拡大したという経緯が上の言葉にも表れています。
ちなみに、このとき開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者は、ソ連から参加した当時26歳のニコラーエワで、彼女の演奏に多大な感銘を受けたショスタコーヴィチは、ソ連に戻ってからもニコラーエワと頻繁に連絡を取り合って作曲を進めて行き、最終的に公開初演を彼女に依頼するほど信頼を寄せていました。
作品は、平均律における24のすべての調性を用いて書かれており、バッハと同じく「前奏曲&フーガ」というスタイルを踏襲しながらも、楽想にはロシア的な要素も濃厚に反映されています。
そこにはロシアの古い英雄叙事詩である“ブィリーナ(語り歌)”からの影響や、ムソルグスキーから自作の『森の歌』に至るまでのロシア・ソヴィエト音楽を俯瞰するような引用なども幅広く含まれており、当初の「技術的な習作」という作曲意図とは遠くかけ離れた壮大な背景をもった作品となっています。
バッハの『平均律』への賛意をあらわすためか、全体の雰囲気は基本的には明快なものとなっていますが、各曲の性格は多彩であり、ときに深い瞑想性を感じさせる音楽から、いかにもショスタコらしい凶暴さを窺わせるものまで、見事なまでの対位法的統一感のもとに豊かな楽想を展開。
なお、作曲は1950年10月から1951年2月の4ヶ月間でおこなわれ、約2ヵ月後の1951年4月5日に開かれた作曲家同盟の会議での席上、ショスタコーヴィチ自身により抜粋試演されて、作曲家同盟から「理想主義的」「形式主義的」と批判を受けます。全曲の初演は、それから約20ヶ月が経過した1952年12月23日、および12月28日に2日間かけておこなわれました。
初演者であるニコラーエワには3度のスタジオ全曲レコーディングが存在します。
第1回は、1962年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、演奏時間は約152分。初演の10年後ということで、ショスタコーヴィチのイメージした作品イメージにもっとも近いのではないかと思わせる引き締まった演奏となっています。
第2回は、作曲者の死後12年を経て1987年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、ロマンティックな性格が強くなり演奏時間は約168分。
第3回は、第2回録音の3年後、1990年に英国のハイペリオンにおこなわれたデジタル・レコーディングで、演奏時間は約165分です。
【タチアーナ・ニコラーエワ】
1924年5月4日、ロシア東部のブリャンスクに誕生。最初、母親からピアノの手ほどきを受け、13歳でモスクワ音楽院ピアノ科に入学し、アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事、卒業後も同音楽院教授のエフゲニー・ゴルブレフから作曲を学びます。
1950年、ライプツィヒでおこなわれた第1回バッハ国際コンクールで優勝し、世界各国で本格的な演奏活動を開始。1955年にはソヴィエト連邦国家賞を受賞。
1959年からモスクワ音楽院で教鞭をとり、1965年には教授に就任し、後にはロシア共和国功労芸術家の称号を授与されます。
幾度かの来日でもお馴染みになった彼女の演奏スタイルは、ロマン的でありながらも端正でスケールの大きなものであり、世界各地で絶賛を浴びていましたが、1993年、サンフランシスコでのリサイタル中にくも膜下出血を発症して演奏を中断、搬送先の病院で9日間の昏睡の果てに亡くなっています。69歳でした。
ニコラーエワは生涯に2度結婚し、息子が一人。ピアニストのアルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフ[1993- ]は孫にあたります。
【ニコラーエワ年表】
1924年(0歳)
●5月4日、ソ連西部、モスクワとキエフの間にある町ベジツァ(現ブリャンスク)に誕生。母はモスクワ音楽院でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事したピアニスト、父は薬剤師で、ヴァイオリンとチェロを弾く音楽愛好家でもありました。
1927年(3歳)
●母の手ほどきによりピアノを開始。
1936年(12歳)
●作曲を開始。
1937年(13歳)
…
可 |
状態詳細
未開封、BOX仕様 |
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37枚組/シュリンクかびあり |
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タチアーナ・ニコラーエワの芸術(37CD)
ニコラーエワの没後25周年を記念し ソ連録音を中心に、晩年のスイスの教会での録音のほか、若き日のドイツ録音なども収めたセットがイギリスのスクリベンダム・レーベルから登場。
【概要】
37枚の内訳は、『ゴルトベルク変奏曲』『平均律クラヴィア曲集』『フーガの技法』『フランス組曲』など、バッハ作品が約14枚分、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集と『ディアベッリ変奏曲』が10枚分、ショスタコーヴィチの『24の前奏曲とフーガ』の録音が2種類で5枚分、それ以外のロシア/ソ連作曲家の録音が約7枚分、シューマンが1枚分となっています。
【スイス録音】
1991年5月、67歳のニコラーエワは、スイスの山村ブルーメンシュタインを訪れ、ブルーメンシュタイン教会で、アルバム3枚の分量にあたるシューマン、チャイコフスキー、ボロディン、リャードフの作品を録音しています。
ニコラーエワはこの録音の2年半後に急死していますが、最後まで現役バリバリで活躍していたということで、このスイスでの録音にも枯れた様子などは無く、大きなスケールで、チャイコフスキーの『グランド・ソナタ』を弾いているほか、ボロディンの小組曲、リャードフの舟歌などのロマンティックな作品を詩情豊かに演奏。
ニコラーエワは、シューマンの生地ツヴィッカウのロベルト・シューマン協会からロベルト・シューマン賞を授与されるほどシューマンの解釈には定評がありましたが、ここでも『子供の情景』『アラベスク』などで見事な演奏を披露、特に、リストの編曲したシューマンの『リーダークライス』の終曲「春の夜」(冒頭がシャンソン『愛の賛歌』に似ている曲)での美しさは絶品です。
●シューマン:6つの間奏曲 Op.4(Disc19)
●シューマン:子供の情景(Disc19)
●シューマン:アラベスク(Disc19)
●シューマン:3つのロマンス Op.28(Disc17)
●シューマン:『ウィーンの謝肉祭の道化』~「間奏曲」(Disc19)
●シューマン(リスト編):『リーダークライス』~「春の夜」(Disc19)
●チャイコフスキー:グランド・ソナタ(Disc17)
●チャイコフスキー:ワルツ Op.40-8(Disc17)
●チャイコフスキー:5拍子のワルツ(Disc17)
●ボロディン:小組曲(Disc24)
●ボロディン:スケルツォ嬰へ長調(Disc24)
●リャードフ:ポーランドの主題による変奏曲 Op.51(Disc25)
●リャードフ:舟歌 Op.44(Disc25)
【バッハ録音】
ニコラーエワはバッハとショスタコーヴィチの権威として、ソ連ピアノ界でも際立った存在でしたが、彼女をその道のスペシャリストたらしめるきっかけとなったのが、1950年7月にライプツィヒで開かれた『バッハ没後200年記念祭』でした。
同音楽祭で開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者でもある彼女は、同行したソ連代表団の団長で、コンクールの審査員でもあったショスタコーヴィチの知己を得、『3台のピアノのための協奏曲』を共に演奏するなど、バッハの作品を通じてショスタコーヴィチと懇意な間柄となります。
ニコラーエワのバッハ演奏は、モダン・ピアノならではの鳴りっぷりの良さと曲想のえぐり具合が印象的なもので、ブゾーニらの編曲による「シャコンヌ」、「トッカータとフーガ」、一連のコラールなどでの壮大な音楽と奥深い情感表現は実に見事。
ペダルを駆使し、明確なリズムと幅広いダイナミクスによって陰影豊かに仕上げられたニコラーエワのバッハ演奏は、『フーガの技法』や『平均律』、『ゴルトベルク変奏曲』、『フランス組曲』、『インヴェンションとシンフォニア』などで美しく揺るぎのない世界を築き上げています。
●ゴルトベルク変奏曲(Disc10-11)
●フーガの技法(Disc12)
●平均律クラヴィーア曲集全曲(Disc4-7)
●平均律クラヴィーア曲集~4曲(Disc13)
●チェンバロ協奏曲集(5曲)(Disc9)
●チェンバロ協奏曲 BWV 1055(Disc14)
●インヴェンションとシンフォニア(Disc8)
●フランス組曲全曲(Disc1-2)
●イギリス組曲第1、4番(Disc1)
●イタリア協奏曲(Disc3)
●イタリア協奏曲(Disc9)
●トッカータとフーガニ短調 BWV 565(Disc3)
●フーガト短調 BWV 578(Disc3)
●コラール『目覚めよと呼ぶ声あり』 BWV 645(Disc3)
●コラール『今ぞ来たれ、異教徒の救い主よ』BWV 659(Disc3)
●コラール『われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ』BWV 639(Disc3)
●コラール『主よ、人の望みよ喜びよ』 BWV 147(Disc3)
●シャコンヌニ短調(Disc3)
●シチリア―ノ(Disc3)
【協奏曲録音】
第1回バッハ国際コンクールで優勝し、広く名を知られるようになったニコラーエワは、国外での活動もおこなうようになり、1956年1月には、モーツァルト生誕200周年を記念して発足したザルツブルクの「モーツァルト週間」で、シューリヒト指揮ウィーン・フィルとピアノ協奏曲第22番で共演して注目を集めました。
また、1959年には32歳のマズア指揮するゲヴァントハウス管弦楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をセッション録音、ニコラーエワ34歳の迫力ある演奏を聴くことができます。
ちなみにニコラーエワは広範なレパートリーの持ち主で、ここでもメトネルやバルトークの協奏曲のほか、恩師ゴルベフのピアノ協奏曲などを聴くことができます。
●モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482(Disc13)
シューリヒト(指揮)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
●モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(Disc14)
ヴィルサラーゼ(ピアノ)ソンデツキス(指揮)リトアニア室内管弦楽団
●モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K.242(Disc14)
ヴィルサラーゼ、ルガンスキー(ピアノ)、ソンデツキス(指揮)リトアニア室内管弦楽団
●バルトーク:ピアノ協奏曲第3番ホ長調(Disc24)
アノーソフ(指揮)モスクワ放送交響楽団
●メトネル:ピアノ協奏曲第1番ハ短調 Op.33(Disc25)
スヴェトラーノフ(指揮)ソ連国立交響楽団
●ゴルベフ:ピアノ協奏曲第3番 Op.40 (Disc26)
アノーソフ(指揮)ソ連国立交響楽団
●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番ト長調 Op.44(Disc16)
アノーソフ(指揮)ソ連国立交響楽団
●チャイコフスキー:協奏的幻想曲 ト長調 Op.56(Disc16)
コンドラシン(指揮)ソ連国立交響楽団
●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 Op.23(Disc18)
マズア(指揮)ゲヴァントハウス管弦楽団
●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 Op.18(Disc18)
イワノフ(指揮)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
【ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガの録音】
大作『24の前奏曲とフーガ』について、ショスタコーヴィチは以下のように語っています。「最初は対位法音楽の技術的な習作のつもりだった。しかしその後構想を拡大し、バッハの平均率クラヴィア曲集に倣って、一定の形象的内容を持つ小品の対位法様式による一大曲集にすることにした」。
1950年7月、ショスタコーヴィチは、バッハ没後200年記念祭に参加するためにライプツィヒに向かいますが、この曲集はもともとその旅行のさなかに練習曲として着想されたものでした。
その後、ソ連代表団の団長として、また、同時に開催されたコンクールの審査員として、さらに閉会式で弾かれた3台のピアノのための協奏曲の独奏者のひとりとして記念祭に参加・滞在するうちに、バッハの音楽から深い影響を受けて作品の構想が拡大したという経緯が上の言葉にも表れています。
ちなみに、このとき開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者は、ソ連から参加した当時26歳のニコラーエワで、彼女の演奏に多大な感銘を受けたショスタコーヴィチは、ソ連に戻ってからもニコラーエワと頻繁に連絡を取り合って作曲を進めて行き、最終的に公開初演を彼女に依頼するほど信頼を寄せていました。
作品は、平均律における24のすべての調性を用いて書かれており、バッハと同じく「前奏曲&フーガ」というスタイルを踏襲しながらも、楽想にはロシア的な要素も濃厚に反映されています。
そこにはロシアの古い英雄叙事詩である“ブィリーナ(語り歌)”からの影響や、ムソルグスキーから自作の『森の歌』に至るまでのロシア・ソヴィエト音楽を俯瞰するような引用なども幅広く含まれており、当初の「技術的な習作」という作曲意図とは遠くかけ離れた壮大な背景をもった作品となっています。
バッハの『平均律』への賛意をあらわすためか、全体の雰囲気は基本的には明快なものとなっていますが、各曲の性格は多彩であり、ときに深い瞑想性を感じさせる音楽から、いかにもショスタコらしい凶暴さを窺わせるものまで、見事なまでの対位法的統一感のもとに豊かな楽想を展開。
なお、作曲は1950年10月から1951年2月の4ヶ月間でおこなわれ、約2ヵ月後の1951年4月5日に開かれた作曲家同盟の会議での席上、ショスタコーヴィチ自身により抜粋試演されて、作曲家同盟から「理想主義的」「形式主義的」と批判を受けます。全曲の初演は、それから約20ヶ月が経過した1952年12月23日、および12月28日に2日間かけておこなわれました。
初演者であるニコラーエワには3度のスタジオ全曲レコーディングが存在します。
第1回は、1962年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、演奏時間は約152分。初演の10年後ということで、ショスタコーヴィチのイメージした作品イメージにもっとも近いのではないかと思わせる引き締まった演奏となっています。
第2回は、作曲者の死後12年を経て1987年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、ロマンティックな性格が強くなり演奏時間は約168分。
第3回は、第2回録音の3年後、1990年に英国のハイペリオンにおこなわれたデジタル・レコーディングで、演奏時間は約165分です。
【タチアーナ・ニコラーエワ】
1924年5月4日、ロシア東部のブリャンスクに誕生。最初、母親からピアノの手ほどきを受け、13歳でモスクワ音楽院ピアノ科に入学し、アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事、卒業後も同音楽院教授のエフゲニー・ゴルブレフから作曲を学びます。
1950年、ライプツィヒでおこなわれた第1回バッハ国際コンクールで優勝し、世界各国で本格的な演奏活動を開始。1955年にはソヴィエト連邦国家賞を受賞。
1959年からモスクワ音楽院で教鞭をとり、1965年には教授に就任し、後にはロシア共和国功労芸術家の称号を授与されます。
幾度かの来日でもお馴染みになった彼女の演奏スタイルは、ロマン的でありながらも端正でスケールの大きなものであり、世界各地で絶賛を浴びていましたが、1993年、サンフランシスコでのリサイタル中にくも膜下出血を発症して演奏を中断、搬送先の病院で9日間の昏睡の果てに亡くなっています。69歳でした。
ニコラーエワは生涯に2度結婚し、息子が一人。ピアニストのアルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフ[1993- ]は孫にあたります。
【ニコラーエワ年表】
1924年(0歳)
●5月4日、ソ連西部、モスクワとキエフの間にある町ベジツァ(現ブリャンスク)に誕生。母はモスクワ音楽院でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事したピアニスト、父は薬剤師で、ヴァイオリンとチェロを弾く音楽愛好家でもありました。
1927年(3歳)
●母の手ほどきによりピアノを開始。
1936年(12歳)
●作曲を開始。
1937年(13歳)
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