リチャードジノリ・ラベロ アンピールカップ&ソーサー L 2705 (No.10) H10cm C/S [30492115]
リチャードジノリ・ラベロ アンピールカップ&ソーサー L 2705 (No.10) H10cm C/S
[30492115]
販売価格: 36,110円(税込)
在庫数 4枚
商品詳細
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
洋陶磁器の世界では 人物・風景は 最高の画題
高級品の象徴 メダイオンが 把手に
手描き・ハンドトランスファー 併用
有るのが 不思議な手工芸・廃盤品
コストアップから 少シリーズ化 少制作化の波は この銘作中の銘作を 早くに 制作中止に追い込む。
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。
サイズ:100ml
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。
天空の城 ラヴェッロ城
ラヴェッロは サレルノ県北西部、アマルフィ海岸に位置する 州都ナポリから南東へ約37kmの距離にある。市域は南北に細長く、南はサレルノ湾に面する。ラヴェッロの人口約2 000人ほどの小さな集落は、ため息の出るほど美しいサレルノ湾を見下ろすアマルフィコーストの高台に位置しており、中心地の標高は350mである。天空の城 ラヴェッロ城のあることも知られています。この絶景は多くの芸術家を魅了し 作曲家ワグナーが1880年に、ヴィラ・ルーフォロ庭園からの美しい眺めやその建築様式に触発され舞台劇「パルジファル・第二幕・クリングゾールの魔法の園」を完成させたことから、人々はこの町を「音楽の町」と呼ぶようになりました。それにちなんで1953年から毎年「ワーグナー音楽祭」が開かれるようになった。現在でも 毎夏ラヴェッロ・フェスティバルという ワーグナーの作品の上演が大きな比重を占めるが、それ以外のオーケストラや室内楽芸術祭も行われます。
本来ホットチョコ用
中世 お姫様に ホットチョコを飲むのが流行りました。まるで ホットチョコを飲まないと お姫様で無いかのように!そこで お姫様用の スマートで 贅を凝らした C/Sが 流行しました。
アンピールとはルイ王朝の 少し退廃的なロココの後(18世紀末) ナポレオン皇帝に好まれた 厳格なネオクラシック・エンパイヤ様式のことです。
ルイ15世の王太子妃マリア・テレサ(スペイン王室の姫。2番目の王太子妃が かのアウグスト強襲王の 孫娘マリアヨゼファ磁器王女)をして「王とチョコレートはわらわの ただ二つの情熱」と言わしめたように 中世ヨーロッパにおいて ホットチョコは 上流階級用の 高級飲料とされておりました。片やオスマントルコ伝来のコーヒーは オーストリアのウィンナーコーヒーとして 花開くのですが巷間 カフェが 繁盛しましたように どちらかというと 一般大衆用のものとされておりました。
イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
【在庫数について】
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